秋田市の旭川を挟んで徒歩5分の距離にある「新政」(新政酒造)と「ゆきの美人」(秋田醸造)。
「酒づくりなんてしたことがなかった」というところからスタートし、全国レベルのいい酒を秋田でつくるという並々ならぬ情熱と矜持を持って、今なお走り続けるなかでお互いの存在が灯台のようになっていた様子が伺えます。前/後編のうちの前編です。
蔵元から蔵元杜氏へ
新政酒造 佐藤祐輔さん(以下、佐藤):秋田に帰って酒蔵を継ぐことに決めてからというもの、私はよく小林さんのところに勉強のため行かせていただきましたね。
秋田醸造 小林忠彦(以下、小林):徒歩5分ぐらいで、近いからね。
佐藤:当時、小林さんは秋田県内初の蔵元杜氏としてすでに「ゆきの美人」をつくっていらして。全国レベルで戦える日本酒をつくるには「これまで通りのやり方」じゃダメなんだっていうことにいち早く気づいておられたんですよね。
小林:当時すでに他県ではいわゆる蔵元杜氏っていうのが生まれて、いい酒をつくっていたんだよ。山形の「十四代」(高木酒造)とか、福島の「飛露喜」(廣木酒造)など、成功した例があって。 でもそういう状況って日本酒の市場に詳しくないとわからなかった。
佐藤:やっぱり小林さんは情報の収集能力が高かったですね。さすが、昔から「全国で通用する日本酒」っていうことをおっしゃっていて、それを秋田で一番はじめに体現した方の一人ですね。
ただし蔵元が製造現場の仕事をしようとしても、現場に相手にされなかったりして、なかなか難しいことがあるのが実際です。
小林:だから、ちょこちょこうちに遊びに来てたよね。
佐藤:わたしは、東京と広島で醸造の教育を受けていたので、比較的楽に現場を仕切れたほうですが、それでも情報交換する相手がいなくて困っていました。オーナーで酒づくりに詳しい人なんて、当時は小林さんしかいなかったじゃないですか。あの頃から、酒造から経営に至るまで、何でも教えていただきました。
小林:大したネタなんてないじゃない(笑)。酒づくりなんてどこも基本的には同じなんだからさ。
お互いに秋田市の蔵元っていう立場が同じだったからさ。酒蔵は蔵元と杜氏のペアでつくってきたものだったけど、技術は蔵元じゃなくて杜氏が持っているものだから、蔵元と杜氏が袂を分かつと杜氏が技術を丸ごと持っていってしまって、蔵がダメになっちゃうっていう悲惨なパターンをいくつか見てきたからさ。レストランにオーナーとシェフがいて、シェフが辞めちゃったら、お店もお客さんも困るじゃない。それならオーナーシェフの方が安定して経営できる。それと同じことだよね。
佐藤:そうそう、まったくそう。
小林:ただ、祐輔は帰ってきて、すぐに秋田の蔵をバーっと見て回っていったよね。あの熱心さはすごかった。
佐藤:秋田だけでなくて全国的に蔵見学には熱心でしたね。たしか当時、秋田で売れていたのは「一白水成」(福禄寿酒造)と「山本」(山本酒造店)と、あとは廃業してしまった「館の井」(沼館酒造)。その3蔵でしたよね。
小林:ああ、「館の井」。あったなぁ。
佐藤:あそこはうまかった。
小林:うん、おいしかった。当時は「山本」にも杜氏がいたんだよ。今のような蔵元杜氏のスタイルになるのは、もうちょっと後のことだ。
秋田の酒が、地酒になるまで
佐藤:地酒っていう市場があるから、流通のことはしっかり考えなきゃいけないって教えてくれたのも小林さんでしたよね。
小林:地酒って流通が限定的で、販売先からすでに限られているんだよね。少量生産の蔵に行って直接お願いして直取引したり、選りすぐりの銘柄だけ扱ってる問屋や酒販店から買うというちょっと閉じたネットワークのなかで流通しているのが、地酒。秋田は長年、そのネットワークに入れなかった。
佐藤:自分は東京にいたからそういうマーケットがあるっていうことをたまたま知ったんですよ。そういう「地酒屋さん」で酒を買い始めてから、日本酒にハマったので。当時、僕が行っていた地酒屋さんに秋田の酒は一銘柄もなかったからね。
小林:そう。スーパーやコンビニでも買える酒は、ちょっといい飲食店では使いたがらない。だから秋田の酒は長年、いい飲食店では使われてこなかった。
佐藤:小林さんのパンチラインで今でも覚えているのが「オレの酒はトイレットペーパーを売っているところには絶対置かない」ってやつ。つまり、日用品売り場、スーパーマーケットとかドラッグストアでは売らないということだと思います。僕はそれを聞いて、たしかに、今後は売り先も考えていかないと、いくら良い酒をつくっても評価してくれないだろうなと思いました。それで「新政」も地酒専門店で売るように、販路を変えてゆくことにしたんです。
小林:そうだったか(笑)。いや、オレはね、紙パックの酒を売ってるところでは自分の酒は売らないぞって言ったつもりだったんだけど。
佐藤:秋田は昔から酒どころといわれてきましたが、本来の意味での地酒としての評価は低かった。僕らはNEXT5で地酒の分野で秋田の酒の評価をきちっと上げた。これはNEXT5の功績だったと思います。
佐藤:そのスタートはやっぱり小林さんが流通について教えてくれたからだと思っています。あと、トレンドのお酒を買い込んで、みんなでたくさん利き酒したりしましたね。
小林:みんなで勉強したね。
佐藤:小林さんは最初から利き酒ができていましたよね。
小林:おれ、味とか匂いとか好きなの(笑)。
佐藤:「こういうのがおいしい日本酒なんだよ」から始まって、ダメなやつはこの味がダメとか匂いがダメとか、もうめっぽう厳しい。で、じゃあなんでここがダメだったの?と酒づくりの話につながる。それが小林さんはすごく能力が高くて。だって、ご自身でワインバーもやられてましたもんね。
小林:昔の話ね。
佐藤:いや、だから、そういうのを知っている人なんですよ。食べ物のことも、経営のことも、マーケットのこともね。
小林さんはワインのコレクターでもあって、僕も秋田に帰ってきてからいいワインをいろいろ飲ませてもらいました。当時はわからなかったけど、今考えるとすごくいいワインを飲ませてもらったんだよなっていうのがわかるわけですよ。そういう勉強もさせてもらいましたよね。
小林:今、「新政」や「ゆきの美人」を飲んでる人は、普段はワインも飲んでいる人かもしれないんだよね。
昔は今と違って、日本酒を飲む人とワインを飲む人が完全に分かれていた。昔の「酒飲み」って「オレ、ずっと高清水だから」って、同じタバコの銘柄を吸いつづけるように同じ銘柄を飲むものだったよね。今は、違うから。ワイン飲んだり、日本酒飲んだりっていう人が多い。
佐藤:小林さんは敏感に、昔からいろいろ飲まれていたから。早い段階から国際的な舌の基準をお持ちだったんだと思いますね。
後編に続く